山でのエピソードや話題を綴る雑記帳です。気ままな話題を思いつくままに綴っています。

※ ブログがまだ一般に普及していない2001~2002年に、山行記録とは別に「雑記」として書いていた記事です。(2009年10月追記)

Masakoの気ままノート (2)

パッキング

2001年2月記


 私はザックのパッキングは手際よく、いつもチャチャッとやってしまいます。毎度殆ど同じ物を詰めるわけですから、頭を使うことはありません。ところが夫ときたら、パッキングに信じられないほど時間がかかります。まず部屋中に全ての荷物を広げて、さながらフリーマーケットのようです。広げるだけ広げた後はパッキングしていると思いきや、覗きに行くと手帳の過去の記録を読んでいたりしています。これはどうやら要領の問題ではなく性格に起因するようです。

 しかし丁寧にきっちりとパッキングしなければ嫌なのは、ふたりとも同じなのです。中身がぐずぐずでデコボコになったザックを背負った人を山で見かけると、他人のことなのに居心地の悪さを感じて直してさしあげたいという気になってしまいます。きっちりとパッキングしたザックは背負いやすく疲れません。さらに軽くさえ感じます。

 さて、ハイキングを予定していた日曜日の前夜に夫が飲み会で、私が夫のザックも代わりに詰めたことがありました。ストーブやクッカーなどの共同装備はいつも分担が決まっているので、2人分チャチャッとパッキング完了でした。

 ところが山頂でお昼のラーメンを作る段になって、ザックの中にガスカートリッジがありません。やはり慣れていない他人?のパッキングは頭を使って、できたら装備メモなども使ってすべきでした。このときは山頂下の茶店で偶然いなり寿司を買っていたのと、その先のもうひとつの山頂にも茶店があって事なきを得ましたが。しかし傍らのおじさんがラーメンを作っているのを、ついつい見てしまう私たちは、かなり恨めしげな眼つきをしていたことでしょう。


あわや、もろとも

2001年3月記


 暦をめくり3月になりました。里山や低山にも徐々に春の訪れの気配が感じられる季節です。そして早春の今ごろ、野山からフクジュソウの開花の便りが届く頃です。四阿屋山(あずまやさん 標高772m 埼玉県秩父)は山腹にフクジュソウの園地があり、この時期はたくさんの人が訪れます。私たちも1996年3月10日に行きました。

 鳥居山コース登山口から1時間ほどで両神神社奥社に着きました。社殿裏からまわりこむと岩場の鎖場が現れました。左側が谷で落ちています。前年の同じ時期に、年配の男性が滑落して亡くなったというのはこの場所なのでしょうか?怖がりで鎖場が苦手の私ですが何とか突破。最後に山腹に切られたつづれ折の急登を登って行きました。この取り付き辺りから登山道は渋滞しはじめました。登山道がガチガチに凍結しているのです。ヤセ尾根に付けられた急登なので鎖が整備してありました。滑るので皆鎖をつかんでいるためと、滑る難所で流れがストップして大渋滞でした。つづれ折の角では登りの列、下りの列の待ち合わせも起きています。待っている間ふと気を緩めたら、重心の足がツルッと滑っておっとっとと、慌てて鎖をつかみました。4本爪の軽アイゼンを用意してきたのですが、周りを見ると殆どの人が着けていないので使用していませんでした。なんとスニーカーの人もいたのです。

 人であふれた狭い山頂で昼食後下山、両神神社奥社までは同じ道を戻ります。夫も私も今度は迷わずアイゼンを装着しました。渋滞で列がストップしている間何となく谷に視線を落とし、「ふ~ん、結構深い谷だなぁ」と思った時でした。ドサッという音と「アッ」という声を聞き右上に目をやると、驚いたことに男性が 横倒しに斜面を転がり落ちて来る ではありませんか! 裸の低木がまばらに生える斜面なので、「落ちていく人、見下ろす人の列」がよく見えました。その光景が目に焼き付けられたその瞬間、そのおじさんは斜面の中ほどの立ち枯れた木にキャッチされたのでした。起き上がれずにもがく彼は、仲間の方が慎重に下りてストックを差し出し助けられました。幸い怪我はなかった様子でした。しかしあの木がもし彼を止めなかったら、彼は私と後ろの夫、前に居た方を直撃し、3人を巻き込んで谷へと落ちたかも知れなかったのでした。

 目にしっかりと焼き付けられたあの光景はいまだに忘れられません。しかし落ちたご本人は「落ちていく恐怖」を一生忘れられないことでしょう。

※ このエピソードを含めた記事全てにおいて、創作は全くありません。体験した事実です。

落石 -- 登山保険に加入しましょう --

2001年9月記


落石があった崖
落石があった崖(帰路に撮影)

 1995年10月8日、私達は夫婦淵温泉(栃木県)から奥鬼怒湿原に向かうべく、朝からの雨のなかを歩き出しました。

 登山道入り口までの林道を5分ほど歩いた時のことでした。バン!という音がして立ち止まると、前を歩く夫の足元のほんの2~3mほど先に箱枕ぐらいの大きさの岩が落ちていました。右手の崖からの落石でした。身体も思考も固まってしまった一瞬の後、パラパラと音を立てて小石が落ちてきて2人の身体や顔を打ち我に帰りました。一目散に20mくらい後戻り。ガタガタと足は震え心臓はバクバク、しばらく止まりませんでした。

 気を取り直して現場を息をつめて駆け抜けた後も、落石の危険地帯を通る時には胸が苦しいほどの恐怖でした。奥鬼怒の秘湯に2泊して秋の湿原を楽しみ帰る日も、往路を戻るために現場を通過する時には勇気が必要でした。この体験の後遺症は長く続いて、その後雨の日の北八ヶ岳山行などで何度か落石恐怖症に陥りました。

 1999年夏の白馬岳山行では、つづれ折りの登山道の上を歩く人が蹴落としてしまった小石で、夫が指先に小さな怪我をしました。私達は栂池から入山しましたが、同日に大雪渓を登ってきた人の話では人の頭大の落石がと登山者の列のすぐ脇を滑り落ちていったとか。

 落石は運悪く当たって怪我をしてしまう場合だけでなく、自分自身が起こして他人を傷つけてしまう可能性もあります。これらの経験から私達は2年前から1年補償の登山保険に加入しています。最近は山岳会に所属していなくても加入できる登山保険(山岳保険)が増えて加入しやすくなりました。遭難救助の補償はつかない手ごろな保険料のハイキング保険もあります。未加入の方はぜひご一考を。


中高年の山歩き -- 道迷い --

2001年11月記


 1996年8月28日、北八ヶ岳の麓の竜源橋から雨の中を登り、双子池ヒュッテに宿泊しました。雨は山小屋の屋根を夜通し強く叩き続けました。翌29日朝は雨が上がり雲間から青空が覗くまでになったのですが、天候の回復は遅く、午前中は小雨がぱらつきました。双子池から静かな雨池を経て麦草峠に向かうと、茶臼池は増水しあふれていて登山道は水没していました。苔むした原生林の向こうにいるキノコ採りのおばさんたちに声をかけてもらい、原生林の中を迂回しました。

 麦草峠に11時半に到着して昼食後、夫がお腹の具合が不調で様子をみているうちに到着から2時間近く経過。靴の中は水浸しだしいっそタクシーを呼び下山しようかとも相談しましたが、結局続行することに決めました。麦草ヒュッテで登山道状況を確認し、予約していた稲子湯旅館に遅くなる旨の電話をして再び出発。白駒池南岸からニュウへ登る道は沢と化し、その後も苔むした岩の多い登山道が滑り歩きにくく、変則十字路と呼ばれる稲子湯への分岐に到着した時間は15時45分、既に下山予定時間を過ぎていました。

 シャクナゲ尾根コース(白駒林道)で稲子湯に下山するのに2時間弱かかります。とにかく休憩をとることにすると、先に休んでいた年配のご夫婦に声をかけられました。稲子湯へ向かっていたのに、何故か再びこの分岐に戻ってしまわれたとのこと。「キツネにつままれたみたいで気味が悪い」とおっしゃいます。不安なので同行を、と頼まれました。ご主人は70才くらい、重登山靴にニッカーズボンで、若い頃にはずいぶん登山の経験を積んだとのことです。休憩中にパイプ煙草を嗜む姿は、かつては大学教授?と思わせる雰囲気でした。奥様は65才くらいでスラリとした品の良い方でした。

 4人でしばらく歩くと、登山道脇の木にタオルがかかっているのが目に入りました。それを見たご主人が「あれは私のです。ここで休んでからまた出発したのです」と言います。するとそのまま進めば再び変則十字路に戻ってしまうのだろうか?と不審に思いながら歩き続けたのですが、そんな気配はありません。考えられることは、休憩後に間違って来た道を戻ってしまったという状況ですが、果たしてそんなことがあるのでしょうか?ご主人は「わからん、わからん」と首をひねり、「やっぱりキツネに騙された」と言っていました。

稲子湯旅館
稲子湯旅館

 シャクナゲ尾根を歩く頃は4人とも疲れもピークでしたが、夫と2人きりではつい甘えて「疲れた」を連発する私も、見栄をはって頑張りました。林道が下に見えた時には皆ホッとしました。そしてその林道に下りた時です。ご主人が道にへたり込んでしまって動けなくなりました。余程ホッとされたのでしょう。不安から解き放たれたあまり腰が抜けてしまったようでした。お2人から何度も何度もお礼をおっしゃっていただきながらしばらく休み、林道をショートカットする登山道を抜けて唐沢橋へ、唐沢橋からは足元も見えないほど暗くなったので林道を、下の稲子湯旅館の明かりを目指して下りました。

 時々あのご夫婦のことを思い出します。そして今、私たち夫婦も体力の低下に逆らえない年齢になりました。若い頃に登山の経験を積んだあの御主人さえ、信じられないミスをして、冷静な判断もできなくなったという事実を思い起こすと、老いても安全に登山を楽しむにはどうするか、私たちも考えなくてはならないと思います。


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