中国自然歩道

3日目 4月2日 / 雨

 前夜の天気予報では雨は降らずに済みそうだったので、さんべ荘横の孫三瓶山登山口から孫三瓶山に登り、女三瓶山まで縦走してからリフトで下山するつもりでいた。ところが予報が外れて朝から雨。北の原山麓に広がる自然林遊歩道か、「中国自然歩道」コースの北の原から西の原部分を歩くことに変更した。

 バスは三瓶山東の山麓をぐるっと回り、北の原へ。貸切状態のバスに観光ガイドのテープが流れる。『三瓶山は国引き神話のなかに島根半島の西側をつなぎ止めた杭として登場します…』。三瓶山はガスの中に隠れてまったく見えなかった。

三瓶自然館
三瓶自然館

 三瓶自然館「サヒメル」の受付でコースの状況を聞き、「中国自然歩道」がアップダウンが少ないことを確かめたうえで、傘を差して歩くことにした。

 歩いたルートを地理院地図に重ねた地図です(GPSログによる足跡ではありません)。ボタンやマウスでの拡大・縮小や表示範囲の移動ができます。モバイル端末ではスワイプやピンチで操作してください。

 三瓶山エリアの全体地図は、下のリンクボタンで同じウインドウで開きます。+ボタンで広げてください。レポートに戻るときは、ブラウザやスマートフォンの「戻るボタン」か、右下の「山行記録に戻る」ボタンで戻ってください。

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姫逃池 ひめのがいけ

姫逃池(ひめのがいけ)
姫逃池(ひめのがいけ)
姫逃池の説明板
姫逃池の説明板

 三瓶自然館の裏手から姫逃池(ひめのがいけ)に出た。カキツバタが咲く浮島は大田市の天然記念物で、姫逃池という名前は悲恋の伝説が由来とか。

道標
道標

 ハイキングコースを歩き始めたら雨が小止みになって傘を畳んだ。初めに階段を登り、やがて自然林の中の殆ど平坦な道をいくようになった。雨に濡れた落ち葉の中からミヤマカタバミがみずみずしい緑の葉を広げ白い花を咲かせていた。

山麓を巻く道
山麓を巻く道
山麓を巻く道
山麓を巻く道

 再び霧雨が降りだしたが、傘もレインウェアも必要ないぐらいなので、構わずどんどん歩いた。今日も誰にも会わず、静かな山の雰囲気に浸りきることができた。ベンチもあったが休まず歩いていくと、先を歩く夫が「あれ、もう着いちゃった」。

 見覚えのあるベンチがある定めノ松からの登山道との分岐だった。約1時間弱のちょっと歩き足りないくらいのハイキングだった。昨日は西の原から見えていた男三瓶山と孫三瓶山も、今日はガスの中で全く見えなかった。


 大田市駅に出て14時30分発の下り電車まで時間を持て余した。昼食は駅前の蕎麦屋さん。道路に面したウィンドウの中で主人が黙々と蕎麦を打っていた。寒かったので温かい鳥そばを注文した。店を出ると雨が激しくなっていて、仕方なく向かいの喫茶店に飛び込んだ。閑散とした地方の駅前にしては立派なビルがあり、喫茶店はその1階にあった。ビルは女性雇用促進センターなどが入っている大田市の施設である。やはり閑散とした喫茶店でケーキセットを食べ、備え付けの雑誌をめくり、中座して施設の中を探検し、ハーブティーを追加オーダーし、やっと電車の時間になって店を出た。


温泉津温泉

 温泉津(ゆのつ)温泉のことは『温泉教授の日本全国温泉ガイド』『列島縦断2500湯』(共に松田忠徳著)で知った。辛口の温泉ガイドである。

 『温泉教授の日本全国温泉ガイド』のなかで “1300年前の開湯以来湯治場としても栄え、旧銀山街道沿いには、今も500メートルにもわたって温泉街が続いている。明治や大正時代にタイムスリップしたような渋い色合いの町並みだが、これほど見事な温泉街は他にないだろう” と紹介されている。実感としてはそれは少し誉めすぎではという気もするが、確かに時間が止まったかのようなノスタルジックな雰囲気の温泉街であった。マニアには垂涎であろうホウロウの看板もアチコチに残っている。駅に迎えに来てくれた宿泊先の若旦那さんによれば、町並み保存の運動を起こしているところだとか。また石見銀山からの銀山街道は中国自然歩道として整備され、三瓶から歩いても来られると教えてもらった。

温泉津温泉旅館組合 »

温泉津温泉入口(翌日撮影)
温泉津温泉入口(翌日撮影)
温泉津港(翌日撮影)
温泉津港(翌日撮影)
なまこ壁の旧庄屋屋敷
なまこ壁の旧庄屋屋敷

 早くにチェックインしたので港や温泉街を散策。今は静かな漁港に過ぎない温泉津港だが、江戸時代には石見銀山から運ばれた銀の積出し港として栄え、北前船も入港したという。

 旅館のゲタの音を響かせながら温泉街をぶらりと歩く。

共同浴場 薬師湯
共同浴場 薬師湯
共同浴場 元湯
共同浴場 元湯

 温泉街には2箇所の共同浴場があり、前述の本では双方とも泉質に関して絶賛している。実はその共同浴場に入湯することが、この山旅のもうひとつの目的でもあった。それは翌日のお楽しみ。

 共同浴場元湯の筋向いには町で最も古い(現在の当主は19代目)温泉宿「長命館」が建ち、元湯はこの宿のものでもある。宿にはお風呂がなく向かいの元湯で入浴するそうだ。

元湯の宿 長命館
元湯の宿 長命館

 宿の玄関には江戸時代に入湯した有名な人物(代官など!)の名前が掲げてある。木造3階建ての建物の古さには多少恐れ入り、それを知っていて宿泊を避けたわけではないのだが、やはりこの宿の3階に泊まるのは勇気がいるなぁと思ってしまった。隣の広場には飲用のために引かれた源泉の噴水があって、飲んでみると含土類食塩泉なのでしょっぱかった。

共同浴場 元湯

 帰京する朝、朝食後に共同浴場に入りに行く。夫は余り関心がなさそうなので一人で準備していると、夫も行くと言うので一緒に出かけた。

 元湯のほうに入ることにした。入浴料は200円。脱衣所でお風呂から上がってきた地元のおばちゃん2人が、「今誰も居ないよお。こんなこと珍しいんだよ」と言った。シマッタ!カメラを持ってくるんだった。

 先に紹介した本には、元湯に関してこう書かれている。『……この温泉が素晴らしい。泉源からたった1,2メートルしか離れていない自然湧出の源泉100%の湯が、たっぷりと湯船に溢れ出ている。鉄分と炭酸ガスを含んだ、薄茶の含土類食塩泉で、神経痛、婦人病、高血圧などに効果がある。

 あまり広くない浴室には洗い場もなく、本来の湯治のための温泉だと納得する。浴槽は3つに仕切られていて、46℃の高温と43℃の浴槽に、寝転がって丁度良い深さの寝湯。46℃にはさすがに入れなかったし(夫は入ったとか)、43℃でも熱くて我慢しながら浸かる。熱くても湯が柔らかく、肌にぴりぴりしない。浴槽は全体に源泉の含有物が長年こびりついた結果、釉薬を掛けて焼いた萩焼のような黄土色になっていて、元は何で出来ているのかわからないほどだった。

 夫より一足先に出て待つ間、朝の海風が心地よかった。先入観もなく入湯した夫でさえ、満面の笑みを浮かべて出てきたほどの「温泉力」のある温泉であった。『浴槽には湯の花が赤茶色にこびりついていて、その見事な錆色を見ると身を引いてしまう人もいるかも知れない。…通ならば喜び勇んで飛び込みそうな温泉だ。』と紹介されている薬師湯にも入ってくれば良かったと後悔した。

温泉津温泉 のがわや

温泉津温泉 のがわや
温泉津温泉 のがわや

 宿泊した旅館のがわやは温泉街の中で一番部屋数が多く、こぎれいな構えだが、家族で経営しているアットホームな宿だった(インターネット予約の割引あり)。

 お風呂は大きな湯船には「アルカリイオン回帰水」を使用しているとかで、温泉ではなかった。しかしきちんとその旨明記する姿勢は好ましいし、アルカリイオン回帰水とは何かよく知らないが肌がスベスベになるお湯だった。もちろん同じ浴室に小さな湯船があり、そちらは源泉そのままの掛け流しである。

温泉津温泉 のがわや »


 駅へは旅館の車で送ってもらわずに歩くことにした。旅行最終日になって快晴になったので、青空の下を歩きたかった。見送りの宿の人にそう言うと、ザックを駅まで車で運んでくださるとのこと。港の前は小さな公園になっていて、ようやく咲き始めた桜の木にベンチがあった。10分ほどぼんやり港を眺めての日向ぼっこ。昨日は雨でどんよりした色の海も、今日は真っ青。

 駅で荷物を運んでくださった宿の若旦那さんと立ち話。いったんは東京で勤めたそうで、そのころ住んでいらしたのが私たちの住んでいる同じ区の隣駅だそうである。その話をするときにだけ、彼は旅館の若主人の立場を離れた普通の顔になっていた。

伯耆大山(電車の窓から)
伯耆大山(電車の窓から)

 温泉津駅から出雲市までの山陰本線を、各駅停車の電車で約1時間。有名な琴が浜海岸近くの沿線を走る。空は青く日本海も青く美しい。三瓶山からの日本海も晴れていれば青かったのだろうか。

 出雲市で「特急やくも」に乗り換え岡山へ。往きに見ることが出来なかった伯耆大山が見えた。雪を頂いた堂々とした姿に感激して、きっと登りに来ようとその姿を胸に刻んだ。

 東海道を走るようになってから、新幹線の車窓はいっぺんにつまらなくなる。毎年この時期にしている山旅の常として、車窓からの桜のお花見を楽しむぐらいである。旅立ちの時には五分咲きになるかならぬかだった東京の桜も、留守にしていた4日間で満開を迎えていた。


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