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第11日目 12月2日 カトマンズ → 香港
前夜は荷物との格闘だった。お土産が嵩張るものばかりなので、スーツケースに入りきらないのだ。カトマンズから成田へ直行できずに香港での一泊を挟む。香港へ持って行く手荷物は軽くしたい(スーツケースは成田へ直行)。トレッキングシューズの中にも靴下を詰めたりして工夫。更に最後の手段で処分しても良い小物を捨てたのだが、それでもスーツケースの蓋が閉まりきらない。
ツアーメンバーの中には衣料量販店で買ったフリースを捨て、それでもスーツケースが満杯で、トレッキングシューズで帰国することにした人もいた。ネパールのお土産に手編み帽子やカシミヤ・パシュミナ製品を買う予定の人は、スーツケースの大きさは余裕があるほうが良いと思う(笑)
旅行中肋骨を傷めたのでスーツケースの蓋に力をかけられず大いに困った。で、スーツケースの上に座って体重をかけ、なんとか鍵を閉めるのに成功(笑)
朝7時45分、カトマンズのホテルを出発した。バンコク国際空港封鎖という事態での振り替え便のため、キャンセル待ちの人がいるかもしれないということやダブルブッキングの懸念もあり、かなり早めに空港に向かったのだ。しかし乗り込んだネパール航空409便香港行きは、かなり空席が目立った。11時離陸のはずが搭乗開始もネパール時間(笑)
夕刻、香港のチェックラップコック国際空港に着陸した。香港には1990年夏に来たことがあるので、チェックラップコック国際空港に降りて歳月を実感してしまった。旧啓徳空港にビル群すれすれの高さを飛行して着陸する、あの「香港アプローチ」も昔語りなのだなと思う。
香港でのガイドさんの出迎えを受けて送迎車に乗り込んだ。車中でガイドさんは一生懸命観光ガイドと香港土産のセールス(実はセールスが大半 / 笑)をするのだが、あまりに無反応なので気の毒なくらい。香港に来たくて来たわけではない私たちは「ああ、やっと日本に一歩近づいた」と思いながら、窓の外に流れ去る夜景をぼんやりと眺めているばかりだった。それでも、新空港付近の未来都市のような夜景は、昔見たビクトリア・ピークの百万ドルの夜景にも匹敵するくらい美しかった。
宿泊するのは九龍地区の旧啓徳空港跡地に隣接するリーガル オリエンタル ホテル(Regal Oriental Hotel Hong Kong / 富豪東方酒店)。超高級ランクではないが、ネパールから来るとその豪華さ、派手さ、ベッドの大きさの違いは歴然(笑)
夕食に適当なレストランがわからないので、添乗員さんがガイド氏にアドバイスを頼んだところ、ホテルから少し歩いた飲食街地区のどこで食べても美味しいですよとの答え。ところが飲食街地区は広い。そして適当な店を見つけると何故かネパールで体験済みのチベット料理店だったり、タイ料理レストランだったり…。私たちはツアー最後の晩餐で、本場の中国料理を食べたいのに~。
お店選びに時間がかかり、ようやく決めたお店に入った。店内は地元のお客さんばかりの雰囲気。そしてなんと給仕スタッフに英語が通じなかった。うわ、香港の観光エリアで英語が通じない!
ネパールの観光地なら、英語どころか時には日本語だって返ってきたのに。おそらく香港も、観光エリアなら日本語も通じる場合もあるはず。歩いていてこの辺りには観光客を見かけないので、空港の移転に伴い、観光対応事情も様変わりしたんだろう。
言葉が通じないお陰で、人数分を上回る12人前コースがオーダーされてしまい、これを巡って一時は従業員と険悪な雰囲気に。結局オーダーは取り消せなかったが、中高年ばかりのメンバーはどう頑張っても食べきれなかった。
「土鍋で蟹とスパゲティをクリームソースで煮た料理」などという、ありきたりじゃない中国料理?が出てきたが意外に美味。松鼠魚あり、“北京ダックもどき”あり、トコブシを使った炒め物ありで、お腹いっぱいになり満足。これだけの量と味で、割り勘で一人3000円程度というのも大満足!(^^)!
会計の時に一波乱。このお店では通じる言葉が中国語だけなら、通用する通貨も香港ドルだけだったのだ。必要がないので誰も1000円分程度しか香港ドルに両替していなかった。添乗員さんが請求書からレート計算してそれぞれから徴収し、そのお金を持ってホテルまで一走りし香港ドルに両替して戻ってくるという八面六臂の大活躍。ご苦労様!
無事会計を終えてお店を出るときには、お店のスタッフもニコニコ送り出してくれた。大昔に習っていたことがある中国語で「美味しい」という意味の言葉を思い出し、帰り際にウェートレスさんへ「好吃!(ハオチー)」と声をかけたら、うれしそうな笑顔を返してくれた。
第12日目 12月3日 帰国 香港 → 成田
早朝にホテルを出発して空港に向かう。新しい高層建築の共同住宅群に香港の変遷を感じ、10年後20年後に再び来たら、どんな香港が見られるのだろう…そしてネパールはこれからどんな風に変って行くのだろうか…と、ふと思った。
いつもなのだが、海外旅行ツアーに参加し成田に帰着したときに一抹の寂しさを感じる。あれほど打ち解けたり楽しい思い出を共有したメンバーたちも、日本の土を踏んだとたんに日常の顔になり、どこかよそよそしくそして慌ただしく家路を急ぐ。それは私も同様なのだけど。
あの素晴らしい景色や、いろいろな興味を抱かせてくれたネパールという国。夢のなかにいるような12日間の旅だったけれど、夢ではなく現実での体験だった。しかし決して「日常」ではなく「旅」だったのだということを痛感させてくれるのが、成田での旅仲間との別れなのかと思う。
成田から山形までの「旅」を残している友人BUNさんともバタバタと別れて、出迎えに来てくれた夫とリムジンバスに乗り込んだ。車窓から見える街路樹や高速道路の植え込みが紅葉していた。山の鮮やかな美しい紅葉でもないし、ヒマラヤの風景のように迫力があるわけでもない。見慣れている平地の地味な紅葉なのだが、妙にしみじみと胸に迫ってきたのは何故だったのだろう…。
このヒマラヤトレッキングとネパールの旅で感じたことを、思いつくままに…。あくまで旅人としての私が、観光地をそれもある一部の地域だけ、短い期間での「旅」で見聞きして感じた戯れ言です。それを承知の上でお読みください。
この旅の目的は「世界最高峰のエベレストを見に行く」だけといっても過言ではなかった。ところが実際にヒマラヤを目にすると、当たり前だがヒマラヤはエベレストだけではなく、景観が素晴らしくて見ているだけでワクワクする山は、他にもたくさんあるのだった。
そしてクンデピークに登り、間近に見たヒマラヤのひとつコンデ・リの大きさと、山頂からの雄大な眺めには胸を打たれた。また、飛行機から見たヒマラヤ山脈は巨大としか言いようがない。ヒマラヤ山脈の成り立ちを含め遙か古代からの時間の流れと自然の大きさを思うと、人間の小ささ…自分をも含め、つまらない事で悩んだり諍ったりしているのが愚かしいと思うようになる。
30近い多民族の国ネパール。宗教においては、チベット仏教とヒンドゥー教が混在しているような融合しているようなネパール宗教。多民族の信仰を抑圧せずに混在と共生の道をとることが、民族間の軋轢を少なくする知恵なのかもしれない。
宗教と同じように排他的になりがちな食文化においても同じ事が言える。ネパールの朝か夕食は「ダルバート」だが、これは日本での“ご飯・味噌汁・おかず・漬物”にあたる。ご飯と豆のスープと野菜の漬物(おひたしみたいな)、そしておかずがカレーだ。このカレー、たぶん本場インドとそれほど変らない。昼食は揚げパンとモモ(餃子)、あるいは焼きそばのような麺類。餃子はおそらくチベット餃子そのもの。ネパール人は、チベットもインドも拘らずに取り込んだ食生活をしているわけである。ネパールを訪れてから文化の融合と共生について、更には同じ日本人同士でも異なる考え方の人たちとの軋轢やコミュニケーションのあり方についてまで、思考は広がっていった。
よく、インドを旅した人は「インドに魅惑されて何度でも行きたい派」と「もうこりごり、二度と行きたくない派」に分かれるというが、ネパールでも若干当てはまりそう。ただしネパールの文化や国民性はインドほど強烈ではないので、インド的な悠久やアジアの異文化を体験するのには、インドより適当かもしれない。私自身、スイスやカナダへのトレッキング旅行では、その国の文化にまであまり関心が及ばなかった。かつての中国や東南アジアの国への旅行も短いものだったことから、今回初めてアジアで異文化体験をしたのだった。アジアに生まれていながら、アジアを知らなかったことを思い知った。
生き馬の目を抜くインド人とは違い、ネパール人は温厚である(とのこと)。昔からカトマンズ盆地に暮らしていたのはネワール族の人たちで、温暖で過ごしやすい気候が温厚な風土と人柄を生んだのかもしれない。またネパール人は勤勉と言われるが、山岳民族が高地をひたすら耕して出来た、あの段々畑を見ればそれも納得。
ただこつこつと勤勉でもその消極的というのか、主張のなさがネパールの発展を遅らせている原因のひとつのような気もする。日本とネパールとの時差「3時間15分」の半端な15分は、インドと差をつけるためという、笑い話のような理由をガイドさんから聞いた。一応インドを意識しているらしい(笑)
王朝が廃止されて共和国に変ったネパールだが、時計の進み方が遅い国なのですぐには大きな変化はないだろう。山を愛する立場としては、山岳地帯の観光地化は歓迎したくないし、しかし彼らにもっと経済的な分配はあって当然だとも思う。いずれにせよ、これからの進歩・発展のあり方が気になる。カースト制度などの問題をも知った上で、ネパールが好きになったから。
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