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忘れられない出来事

水に泣いた一日

大雪山愛山渓温泉での大失態

 1998年7月下旬に北海道大雪山へ行きました。私たちはテント泊山行はできないので、旭岳温泉をベースにしました。旭岳を往復した翌日は〔旭岳ロープウェイ姿見駅〜裾合平〜当麻乗越〜愛山渓温泉〕というコースを歩きました。山行のメインとしていたこの日は、あいにく朝からになりました。

 裾合平駅で宿でポリタンクに水を入れ忘れて来たことに気がつきました。駅はこの夏のシーズン後にロープウェイの改修工事があるため既に一部工事中です。そのためかトイレは移動式簡易トイレで、またジュースの自販機もありません。水場のピウケナイ沢まで我慢することにしました。この年は全国的に春から初夏にかけてたいへん暑く、高山植物の花は2週間程前に咲き終ってしまっていて、裾合平のチングルマの大群落も既に果穂でした。咲いていたらさぞ美しいことでしょう。ピウケナイ沢の渡渉は蛇籠が設置してあったので問題はありません。しかしきれいな水がとれる場所へは少し歩くようなので断念しました。その後はテルモスのお湯と持っているハウスみかん2個が頼りです。喉の渇きはみかんをひと房ずつ大事に食べて癒しました。

 当麻乗越から岩ゴロの道を下ると、ビジターセンターでぬかるみがひどいと聞いていた辺りに来ました。ズブズブでした。この最悪のぬかるみは愛山渓温泉への三十三曲がりの下り近くまで続いたのでした。チャポチャポ・ズブズブの道ではスパッツも効果なく靴の中へも浸水しました。沼の平では満開のエゾコザクラとアオノツガザクラの大群落に出会えたものの、沼のほとりに付けられた木道が壊れていたり傾いていて、滑ると沼に落っこちそうでした。沼の平分岐からの樹林帯の下りでは登山道は沢と化し、ヒグマに遭遇しそうな薄暗いなかを声を出したりクマ鈴を鳴らしたりしながら下りました。ようやく愛山渓ヒュッテとクラブの2棟の屋根が見えたときは本当にホッとしたのでした。標準タイムで6時間弱のところを8時間40分かかり、17時40分の到着でした。

 当麻乗越から岩ゴロの道を下ると、ビジターセンターでぬかるみがひどいと聞いていた辺りに来ました。ズブズブでした。この最悪のぬかるみは愛山渓温泉への三十三曲がりの下り近くまで続いたのでした。チャポチャポ・ズブズブの道ではスパッツも効果なく靴の中へも浸水しました。沼の平では満開のエゾコザクラとアオノツガザクラの大群落に出会えたものの、沼のほとりに付けられた木道が壊れていたり傾いていて、滑ると沼に落っこちそうでした。沼の平分岐からの樹林帯の下りでは登山道は沢と化し、ヒグマに遭遇しそうな薄暗いなかを声を出したりクマ鈴を鳴らしたりしながら下りました。ようやく愛山渓ヒュッテとクラブの2棟の屋根が見えたときは本当にホッとしたのでした。標準タイムで6時間弱のところを8時間40分かかり、17時40分の到着でした。

 夕食前には温泉にゆっくり入ることができなかったので、食後にもう一度入浴しました。脱衣場には宿泊者が利用できる洗濯機が置かれていました。1回分の洗剤も買えます。泥水でビショビショの靴下とタオル、ティーシャツを洗濯することにしました。少し旧型の2槽式洗濯機でした。洗濯コースを選び洗濯機が回っている間に入浴。脱水ホースを浴室の引き戸の隙間から浴室に倒して排水、再びホースを戻して給水し、給水すすぎのコースに設定して再び浴室へ。シャンプーをした後ゆっくり湯船に浸かりました。8時間40分歩いた疲れがじわじわと解けていく至福のひとときでした。う〜ん極楽ごくらく…。

 先に浴室を後にした同宿の女性が浴室の戸を開けて「あの〜、脱衣場が水浸しなんですけど…」とおっしゃるまでは…。「はぁ?」あんまりノンビリした言い方でしたので、すぐには飲み込めなかったんです。が、次ぎの瞬間には事態を悟り洗濯機の水道に飛びついて蛇口を閉めました。そうです、なんと排水ホースを倒しておくのを忘れたのでした。リノリウム貼りの床はなんと一面の水浸しでした。

 取るものも取りあえず、と言うか着けるものも着けずに、必死でタオルに床の水を吸わせては絞ることを繰り返しました。一糸まとわぬ姿で床掃除という最悪の窮地に陥りました。(光景を想像スルベカラズ)誰かの連絡で従業員(もちろん女性)の方がモップとバケツを持ってやって来て、その有様にビックリしていました。従業員の方も手伝ってくださり、私はようやく浴衣を身に着けて自分の不始末の後始末を続けたのでした。モップと雑巾では間に合わず、水は脱衣所の外の廊下にも浸出していました。仕事を終えることができたのは、タップリ1時間かかった後でした。管理人の方のお部屋へお詫びに伺い損害の弁償を申し出ましたが、有り難いことに許してくださいました。それで従業員さんへのお礼の気持ちを寸志に託して言付けました。

 この間1時間30分あまり、夫はといえば「長湯だな〜」と気にしつつも心配して見に来ることもなく部屋に居たのでありました。中腰姿勢での1時間もの労働で腰は痛み疲れきった妻は、「苦労を共にするのが夫婦じゃないの?」と思ったのでした。それにしても翌朝にはすっかり疲れも癒えて、元気に黒岳へと向かえたのも温泉のお陰でしょうか。

2001年2月記




あわや、もろとも

上から人が落ちてきた!

 暦をめくり3月になりました。里山や低山にも徐々に春の訪れの気配が感じられる季節です。そして早春の今ごろ、野山からフクジュソウの開花の便りが届く頃です。四阿屋山(あずまやさん 772m 埼玉県秩父)は山腹にフクジュソウの園地があり、この時期はたくさんの人が訪れます。私たちも1996年3月10日に行きました。

 鳥居山コース登山口から1時間ほどで両神神社奥社に着きました。社殿裏からまわりこむと岩場の鎖場が現れました。左側が谷で落ちています。前年の同じ時期に、年配の男性が滑落して亡くなったというのはこの場所なのでしょうか?怖がりで鎖場が苦手の私ですが何とか突破。最後に山腹に切られたつづれ折の急登を登って行きました。この取り付き辺りから登山道は渋滞しはじめました。登山道がガチガチに凍結しているのです。ヤセ尾根に付けられた急登なので鎖が整備してありました。滑るので皆鎖をつかんでいるためと、滑る難所で流れがストップして大渋滞でした。つづれ折の角では登りの列、下りの列の待ち合わせも起きています。待っている間ふと気を緩めたら、重心の足がツルッと滑ってオットットと慌てて鎖をつかみました。軽アイゼン(当時は4本爪)を用意してきたのですが、周りを見ると殆どの人が着けていないので使用していませんでした。なんとスニーカーの人もいたのです。

 人であふれた狭い山頂で昼食後下山、両神神社奥社までは同じ道を戻ります。夫も私も今度は迷わずアイゼンを装着しました。渋滞で列がストップしている間何となく谷に視線を落とし「ふ〜ん、結構深い谷だなぁ」と思った時でした。ドサッという音と「アッ」という声を聞き右上に目をやると、驚いたことに男性が横倒しに斜面を転がり落ちて来るではありませんか!裸の低木がまばらに生える斜面なので「落ちていく人、見下ろす人の列」がよく見えました。その光景が目に焼き付けられたその瞬間、そのオジサンは斜面の中ほどの立ち枯れた木にキャッチされたのでした。起きられずにもがく彼は仲間の方が慎重に下りてストックを差し出し助けられました。幸い怪我はなかった様子でした。しかしあの木がもし彼を止めなかったら、彼は私と後ろの夫、前に居た方を直撃し3人を巻き込んで谷へと落ちたかも知れなかったのでした。

 目にしっかりと焼き付けられたあの光景はいまだに忘れられません。しかし落ちたご本人は「落ちていく恐怖」を一生忘れられないことでしょう。

このエピソードを含めた記事全てにおいて、多少の記憶違いがあっても創作は全くありません。
体験した事実です。

2001年3月記




落石

登山保険に加入しましょう

 1995年10月8日、私達は夫婦淵温泉(栃木県)から奥鬼怒湿原に向かうべく、朝からの雨のなかを歩き出しました。登山道入り口までの林道を5分ほど歩いた時のことでした。バン!という音がして立ち止まると、前を歩く夫の足元のほんの2〜3mほど先に箱枕ぐらいの岩が落ちていました。右手の崖からの落石でした。身体も思考も固まってしまった一瞬の後、パラパラと音を立てて小石が落ちてきて二人の身体や顔を打ち我に帰りました。一目散に20mくらい後戻り。ガタガタと足は震え心臓はバクバク、しばらく止まりませんでした。気を取り直して現場を息をつめて駆け抜けた後も、落石の危険地帯を通る時には胸が苦しいほどの恐怖でした。奥鬼怒の秘湯に2泊して秋の湿原を楽しみ帰る日も、往路を戻るために現場を通過する時には勇気が必要でした。この体験の後遺症は長く続いて、その後雨の日の北八ヶ岳山行などで何度か落石恐怖症に陥りました。

 1999年夏の白馬岳山行では、つづれ折りの登山道の上を歩く人が蹴落としてしまった小石で、夫が指先に小さな怪我をしました。私達は栂池から入山しましたが、同日に大雪渓を登ってきた人の話では人の頭大の落石がと登山者の列のすぐ脇を滑り落ちていったとか。

 落石は運悪く当たって怪我をしてしまう場合だけでなく、自分自身が起こして他人を傷つけてしまう可能性もあります。これらの経験から私達は2年前から1年補償の登山保険に加入しています。最近は山岳会に所属していなくても加入できる登山保険(山岳保険)が増えて加入しやすくなりました。遭難救助の補償はつかない手ごろな保険料のハイキング保険もあります。未加入の方はぜひご一考を。

2001年9月記




中高年の山歩き

道迷い

 1996年8月28日、北八ヶ岳の麓の竜源橋から雨の中を登り、双子池ヒュッテに宿泊しました。雨が山小屋の屋根を夜通し強く叩き続けました。翌29日朝は雨が上がり雲間から青空が覗くまでになったのですが、天候の回復は遅く、午前中は小雨がぱらつきました。双子池から静かな雨池を経て麦草峠に向かうと、茶臼池は増水しあふれていて登山道は水没していました。苔むした原生林の向こうにいるキノコ採りのおばさんたちに声をかけてもらい、原生林の中を迂回しました。

 麦草峠に11時半に到着して昼食後、夫がお腹の具合が不調で様子をみているうちに到着から2時間近く経過。靴の中は水浸しだしいっそタクシーを呼び下山しようかとも相談しましたが、結局続行することに決めました。麦草ヒュッテで登山道状況を確認し、予約していた稲子湯旅館に遅くなる旨の電話をして再び出発。白駒池南岸からニュウへ登る道は沢と化し、その後も苔むした岩の多い登山道が滑り歩きにくく、変則十字路と呼ばれる稲子湯への分岐に到着した時間は15時45分、既に下山予定時間を過ぎていました。

 シャクナゲ尾根コース(白駒林道)で稲子湯に下山するのに2時間弱かかります。とにかく休憩をとることにすると、先に休んでいた年配のご夫婦に声をかけられました。稲子湯へ向かっていたのに、何故か再びこの分岐に戻ってしまわれたとのこと。「キツネにつままれたみたいで気味が悪い」とおっしゃいます。不安なので同行を、と頼まれました。ご主人は70才くらい、重登山靴にニッカーズボンで、若い頃にはずいぶん登山の経験を積んだとのことです。休憩中にパイプ煙草を嗜む姿は、かつては大学教授?と思わせる雰囲気でした。奥様は65才くらいでスラリとした品の良い方でした。

 4人でしばらく歩くと登山道脇の木にタオルがかかっているのが目に入りました。それを見たご主人が「あれは私のです。ここで休んでからまた出発したのです」と言います。するとそのまま進めば再び変則十字路に戻ってしまうのだろうか?と不審に思いながら歩き続けたのですが、そんな気配はありません。考えられることは、休憩後に間違って来た道を戻ってしまったという状況ですが、果たしてそんなことがあるのでしょうか?ご主人は「わからん、わからん」と首をひねり、「やっぱりキツネに騙された」と言っていました。

 シャクナゲ尾根を歩く頃は4人とも疲れもピークでしたが、夫と二人きりではつい甘えて「疲れた」を連発する私も、見栄をはって頑張りました。林道が下に見えた時には皆ホッとしました。そしてその林道に下りた時です。ご主人が道にへたり込んでしまって動けなくなりました。余程ホッとされたのでしょう。不安から解き放たれたあまり腰が抜けてしまったようでした。お二人から何度も何度もお礼をおっしゃっていただきながらしばらく休み、林道をショートカットする登山道を抜けて唐沢橋へ、唐沢橋からは足元も見えないほど暗くなったので林道を、下の稲子湯旅館の明かりを目指して下りました。

 時々あのご夫婦のことを思い出します。そして今、私たち夫婦も体力の低下に逆らえない年齢になりました。若い頃に登山の経験を積んだあの御主人さえ、信じられないミスをして、冷静な判断もできなくなったという事実を思い起こすと、老いても安全に登山を楽しむにはどうするか、私たちも考えなくてはならないと思います。

2001年11月記


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